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東京高等裁判所 平成7年(行ケ)161号 判決 1996年3月21日

東京都千代田区神田東松下町37番地

原告

株式会社キングコール

同代表者代表取締役

飯島隆介

同訴訟代理人弁理士

清原義博

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官 清川佑二

同指定代理人

茂木静代

吉野日出夫

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第1  当事者の求めた裁判

1  原告

(1)  特許庁が平成3年審判第10584号事件について平成7年3月31日にした審決を取り消す。

(2)  訴訟費用は被告の負担とする。

2  被告

主文同旨の判決

第2  請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、平成元年2月7日「HIPRO」の欧文字と「ハイプロ」の片仮名文字を上下2段に横書きしてなる商標(以下「本願商標」という。)につき、指定商品を旧商標法施行令(昭和35年政令第19号)1条別表、旧商標法施行規則(昭和50年通商産業省令第85号)3条別表の規定による商品区分(以下「旧商品区分」という。)第1類「植物育成剤、土じょう改良剤、その他本類に属する商品」として、商標登録出願(平成1年商標登録願第12969号)をしたが、平成3年3月28日拒絶査定を受けたので、同年5月17日審判を請求し、平成3年審判第10584号事件として審理され、指定商品については、同年5月17日付け手続補正書をもって旧商品区分第1類「土壌改良剤及び化学剤」に補正したが、平成7年3月31日「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決があり、その謄本は、同年6月8日原告に送達された。

2  審決の理由の要点

(1)  本願商標の構成及び指定商品等は、前項記載のとおりである。

(2)<1>  これに対し、原査定において本願の拒絶の理由に引用した登録第2025336号商標(以下「引用商標」という。)は、「アイプロ」の片仮名文字と「IPRO」の欧文字を上下2段に横書きしてなり、指定商品を旧商品区分第1類「化学品、薬剤、医療補助品」として、昭和60年8月2日登録出願、昭和63年2月22日登録されたものであるが、指定商品中「化学品」についての登録は、平成5年5月28日(4月15日の誤記と認められる。)の審決によって取り消され、同年10月15日確定審決の登録がなされた。

<2>  よって、検討すると、本願商標に係る指定商品は、前記のとおり「土壌改良剤及び化学剤」に補正されたものであるが、補正された指定商品中の「土壌改良剤」は、農業用薬剤の範疇に属する商品であって、引用商標に係る指定商品中の「薬剤」に包含される商品と認められるから、本願商標の指定商品は、引用商標に係る指定商品と未だ抵触関係を免れないというべきである。

また、本願商標は、前記構成よりなるものであるから、その構成文字に相応して、「ハイプロ」の称呼を生ずるものであり、引用商標は、前記構成よりなるものであるから、その構成文字に相応して、「アイプロ」の称呼を生ずるものである。

そして、本願商標より生ずる「ハイプロ」の称呼と引用商標より生ずる「アイプロ」の称呼は、構成する音数を同じくするばかりでなく、相違する「ハ」と「ア」の音にしても、「ハ」の子音「h」は無声摩擦音で比較的弱く発音されるものであり、これに帯同する母音「a」が強く響く音であるから、子音「h」が帯同する母音「a」に吸収されて「ア」に近似した音として聴取されるものである。後半部分の「プロ」が前半部分に比べて強く響くことも相まって、それぞれを一連に称呼する場合は、その語調、語感が極めて近似したものとなり、互いに聞き誤られるおそれがある称呼上類似の商標というべきである。

<3>  したがって、本願商標は、商標法(平成3年法律第65号による改正前のもの、以下同じ)4条1項11号の規定に該当し、登録することができない。

3  審決の取消事由

審決の認定判断のうち、審決の理由の要点(1)は認める、(2)のうち、<1>は認めるが、<2>、<3>は争う。

審決には、審判において原告に意見書及び補正書の提出の機会を与えなかった手続上の瑕疵があり、かつ、本願商標と引用商標とは外観、称呼、観念において相違するのにこれを類似するとした実体的判断の誤りがあり、違法であるから、取り消されるべきである。

(1)  手続的瑕疵について

<1> 原告は、1項記載のように、平成3年5月17日審判を請求するとともに、同日付け手続補正書を提出し、指定商品を「植物育成剤、土じょう改良剤、その他本類に属する商品」から「土壌改良剤及び化学剤」と補正した。

原告は、他方、前同日引用商標につき、その商標権者に対し、指定商品のうちの「化学品」について、不使用取消しの審判を請求し、平成3年審判第10643号事件として審理され、2項(2)<1>記載のように、平成5年4月15日指定商品のうち「化学品」について、これを取り消す旨の審決がなされた。

原告は、本件審判につき、平成7年3月27日に、同月7日付けの審判官氏名通知及び同月9日付けの審理終結通知を受領し、同年6月8日に、同年3月31日付けの本件審決を受領した。

<2> 商標法の規定及びこれが準用する特許法の規定によれば、審判は、3人又は5人の審判官の合議体が行うとされ、特許庁長官は、各審判事件について合議体を構成すべき審判官を指名しなければならないとされている。さらに、商標法施行規則の規定及びこれが準用する特許法施行規則の規定によれば、特許庁長官は、審判事件につき審判官を指定し、又は変更したときは、その氏名を当事者に通知しなければならないとされている。

すなわち、実体的審判は、特許庁長官により審判官が指名されて、はじめて開始されるのである。したがって、審判においては、審判官指名通知の受領日から審理終結通知までが実体的審理期間であると解される。

そうすると、本件審判における審理期間は、特許庁において3日間、原告において平成7年3月27日のみで実質的に期間無しであった。この時点で、審判請求時といかなる前提事実が変化し、さらなる補正等の手続が必要か否かの検討を開始する時間的余裕を与えていないものであり、審決は、審理を充分に尽くしたとはいえない。

なお、原告が平成3年6月14日頃本件審判番号の通知を受領したとの被告主張事実は認める。

<3> 本件出願では、指定商品中「土壌改良剤」のみが引用商標の指定商品と重複するのであるから、補正の機会が与えられれば、原告は、これを補正により削除し得たものである。

元来、原告は、平成3年5月17日付け手続補正書において、本願商標の指定商品を「化学剤」と補正すべきであったが、錯誤により「土壌改良剤及び化学剤」としたものである。

また、この「土壌改良剤」は、旧商品区分では、第1類の「化学品(他の類に属するものを除く。)、薬剤、医療補助品」の「薬剤」の「三十 農業用または公衆衛生用薬剤」のなかに位置付けられていたが、平成3年法律第65号による「商標法の一部を改正する法律」の施行に伴う「商標法施行令及び商標登録令の一部を改正する政令」(平成3年政令第299号)1条、「商標法施行規則の一部を改正する省令」(平成3年通商産業省令第70号)3条別表の規定による商品区分(以下「新商品区分」という。)では、第5類の「薬剤」とは分離され、第1類の「工業用、科学用又は農業用の化学品」の「二 植物成長調整剤類」のなかに位置付けられるようになった。

そうであるならば、取引の実情においては、本願商標の指定商品「土壌改良剤」と引用商標の指定商品「薬剤」とは、出所の誤認混同を生ぜしめる蓋然性がないことを、改正商標法は予定している。

審決は、単に外形的に商標法4条1項11号を適用し、拒絶理由を支持しているが、前記商標法の改正を踏まえるならば、この理由は瑣末にすぎない。

<4> このように、仮に、審理の過程で補正ないし主張の機会が与えられれば、拒絶査定の理由が覆る軽微な事件であったにもかかわらず、原告にその機会が与えられなかったことは、審判手続上の瑕疵であって、違法である。

(2)  実体的判断の誤りについて

<1> 外観について

本願商標は、「HIPRO」の欧文字と「ハイプロ」の片仮名文字を上下2段に横書きしてなり、引用商標は、「アイプロ」の片仮名文字と「IPRO」の欧文字を上下2段に横書きしてなるものである。

故に、両商標は、片仮名文字の位置、構成及びその文字数の相違により明らかに外観が非類似である。

<2> 称呼について

イ.上記外観からして、本願商標からは「ハイプロ」の称呼が生じ、引用商標からは「アイプロ」の称呼が生ずる。

ロ.そこで、両商標を比較するに、語頭音において本願商標と引用商標とに「ハ」と「ア」の相違が認められる。

「ハ」は声門において、両声帯をやや狭め、その隙間から無声の呼気を摩擦させて出す音であり、両唇を接近させて、その間隙から発する無声摩擦音「h」と母音「a」との結合した音節である。これに対し、「ア」は、口を広く開き舌を低く下げ、その先端を下歯茎に触れた程度の位置におき、声帯を震動させて発する有声の開放母音(広母音)である。

つまり、本願商標の語頭音「ハ」が口の開きの小さい無声摩擦音で、官能的感覚の丸い音であるのに対し、引用商標の語頭音「ア」は口の開きの大きい比較的明瞭に澄んだ音であるため、両者は、明確に区別できる。

しかも、該差異音「ハ」と「ア」は共に語頭音であり、それに続く第2音目の「イ」の音が微弱音であることと相まって、強く明瞭に発音される関係にあるため、この差異音は聴者に対し、最も印象を与える音の相違ということになる。

「ハイプロ」と「アイプロ」の両商標は、共に4音より構成され、そのうち第2音目以降の「イ」「プ」「ロ」の3音を共通にするものであるが、称呼の識別上重要な位置を占め、かつ明瞭に発音され聴者に強い印象を与える語頭音において50音中の他行音であり明瞭な音質の差異を有するものであるから、両商標をそれぞれ一連に連呼したときは、その語調、語感は明らかに相違し、両者を聴き誤るおそれはない。

「ハ」の子音「h」は、「パ行」、「マ行」、「ラ行」の子音と同等もしくはそれ以上の呼気量を要する音であり、「ハ」の子音「h」が弱音であるとする被告の主張は、首肯できない。

仮に、「ハ」の音が弱音であるとしても、本願商標は、「ワイプロ」と称呼されるのみであり、「アイプロ」と称呼されることはない。

ハ.昭和55年審判第15681号事件の審決においても、「ヘロス」と「エロス」の2商標が非類似と判断されており、「両者の差異音である「ヘ」の音は両声帯を接近させてその間隙から出す摩擦子音と口の開きを普通に舌の位置は自然のままで発音される母音を結合した音であるのに対し、後者の「エ」の音は口の開きも普通に舌の位置は自然のままで発音される母音のみからなる音であって、比較する両音はそれぞれの調音位置及び調音方法において明らかに差異があるものとみるを相当とする。」とされている。

本願商標の属する商品区分第1類に関する審決例において、語頭音が相違する場合に非類似と判断されている例は、「NEMAL」と「レマール/LEMAR」、「デントス」と「BENTOS/ベントス」、「カクテル/KAKTELL」と「ラクテル」、「MOLTON/モルトン」と「HORTON/ホルトン」、「モリネール」と「ホリネール」、「デルモ」と「VERMO/ベルモ」、「FERRICS/フェリックス」と「BELIX/ベリッス」、「ケトロン」と「メトロン」、「メイロン」と「ミイロン」、「サーモラン/THERMORAN」と「DERMORAN」がある。

このように、近時における審査基準は、少数音からなる商標の場合、語頭音の相違は非類似とされることが主流とされている。

<3> 観念について

本願商標の「HIPRO」と「ハイプロ」を上下2段に横書きしてなるもの、引用商標の「アイプロ」と「IPRO」を上下2段に横書きしてなるものは、いずれも特定の意味を生じさせない造語であるから、観念については比較すべくもなく非類似である。

<4> 以上の如く、本願商標と引用商標とは、その外観、称呼、観念のいずれも非類似であるので、本願商標は、商標法4条1項11号に該当する商標ではなく、審決の認定判断は誤りである。

第3  請求の原因に対する認否及び被告の主張

1  請求の原因1、2は認めるが、同3は争う。審決の認定判断は正当である。

2(1)  手続的瑕疵について

<1> 原告の手続的瑕疵についての主張中、<1>は認める。

<2> 本件審判請求は、その請求日及び同日付け手続補正書の提出日である平成3年5月17日以降、平成7年3月24日に原告に審理終結通知が発送され、審決をもって審判が終了する同年3月31日(審決送達日は同年6月8日)まで約4年が経過しており、原告は、その間に何らの補正をしなかった。原告には、審判が終了するまでに拒絶の理由を解消すべき補正の機会は充分にあった。

審判手続は、請求人が適式な審判請求書を特許庁長官に提出し、該請求書が受理された以降開始される。特許庁長官は、審判請求書を受理したときは、これに審判番号を附し、該審判番号を当事者に通知しなければならない。審判請求書の受理以後は、職権をもって審理は進行される。本件審判手続においては、原告に対し、平成3年6月14日審判番号の通知が発送されている。

また、一旦審理が終結されても、審判請求人において審理再開を希望するのであれば、その申立てをすることも可能である。

<3> 商標法の規定によれば、商品の区分は、商品の類似の範囲を定めるものではないとされている。

商品の類似とは、該商品の属する取引分野における取引の実情を総合的に判断して、2つの商品に同一又は類似の商標を使用した場合、これに接する取引者、需要者が商品の出所について誤認混同を生ずるおそれがあるときに、これらの商品は類似していると判断されるものである。

新旧商品区分において、「土壌改良剤」の属すべき商品の区分及びその包括的概念が異なったのは、わが国がニース協定で定める国際分類を採用するに当たり、これに則した商品の分類体系を採用したことに伴うものであって、商品の区分に関する定めは商品の類否とは無関係であるという考え方に変化があったものではない。

わが国の取引の実情からすると、商品区分上、「化学品」として把握される「土壌改良剤」と、同様に「農業用薬剤」として把握され得る「除草剤、殺菌剤」等の商品とは、その生産者、用途、主たる需要者層等を共通にする場合が多いため、これらに同一又は類似の商標を使用した場合には、該商標に接する取引者、需要者をして、商品の出所について誤認混同を生じさせるおそれがあると認められる。

そして、旧商品区分に基づいて成立した引用商標の商標権の範囲がその後変更されたものでもない。

また、仮に、原告がした指定商品の補正につき、その内容に錯誤があったとしても、被告が責めを負うべきものでないことは、いうまでもなく、特許庁が出願人に対し、職権をもって補正を促す場合があるとしても、その場合は、当該出願が審決前であって、その補正が要旨を変更しない範囲内で、当該補正により拒絶理由が解消される場合に限られるとみるべきである。

さらに、指定商品の記載内容は、商標権の範囲をなし、その表示内容の変更によっては要旨の変更となる重要な問題であるから、指定商品の記載内容について、これを軽微なものとみるべきではない。

<4> したがって、審決には、その審理手続に何らの瑕疵はない。

(2)  実体的判断の誤りについて

<1> 外観について

原告の主張は、認める。

<2> 称呼について

原告の主張中、イ.は認め、ロ.ハ.は争う。

本願商標より生ずる「ハイプロ」の称呼と引用商標より生ずる「アイプロ」の称呼は、いずれも4音よりなり、第1音目において「ハ」と「ア」の音を異にするのみであって、他の「イ」「プ」「ロ」の音を共通にする。

相違音の1つである「ハ(ha)」の音は、両声帯を接近させ、その隙間から発する無声摩擦音である子音「h」と母音「a」との結合した音節であって、無声摩擦音「h」は、呼気とともに発せられる、力の入りにくい弱い音として発音されることから、むしろ、これに帯同する母音「a」が強く響き、子音「h」が母音「a」にあたかも吸収される形となり、「ハ」の音は「ア」に近似した音として聴取されるものである。

してみれば、原告の、「ハ」に含まれる無声摩擦音「h」の存在によって両者の音質、音感は全く相違するとの主張は、失当といわなければならない。

原告は、該差異音「ハ」と「ア」が語頭音における差異であることにより、強い印象を与える旨を主張するが、前記の如く、「ハ」の音は「ア」に近似した音として把握されるものであり、しかも、後半部分における共通音である「プ(pu)」、「ロ(ro)」の音は、前者の子音部「p」が破裂音であって、強く響く音であり、後者の子音部「r」は弾音であって、リズミカルな印象を与える音である。

このように、両商標の全体を称呼する場合には、後半部分の「プ」「ロ」の音が比較的強い印象を与えることと相まって、両商標における差異音「ハ」と「ア」の音が両商標全体に及ぼす影響は、必ずしも大きいものということができず、それぞれの構成音を一連に称呼するときには、該称呼に接する取引者、需要者は、その語調、語感が極めて近似するものとして聴取し、互いに聞き誤るおそれが充分にあるといわなければならない。

原告は、両商標の構成音について少数音であることを前提として、両商標が非類似である旨を主張するが、両商標の称呼は、ともに4音の構成音数(音節数)であって、これを少数音とは断じ難い。

このように、本願商標と引用商標は、称呼において彼此相紛らわしい類似の商標というべきである。

なお、原告が例示する審決例等は、本件事案において称呼類似の争点となっている「ハ」と「ア」の音における相違例ではないから、本件事案の判断に影響を及ぼすものとはいえない。

<3> 観念について

原告の主張は、認める。

(3)  以上のとおり、本願商標と引用商標は、指定商品において共通し、称呼において類似するものであるから、本願商標が商標法4条1項11号の規定に該当するとした審決の認定判断に誤りはなく、取り消されるべき理由はない。

第4  証拠関係

証拠関係は、本件記録中の書証目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

第1

1  請求の原因1(特許庁における手続の経緯)、同2(審決の理由の要点)は、当事者間に争いがない。

2  請求の原因3(審決の取消事由)について検討する。

(1)  本願商標は、「HIPRO」の欧文字と「ハイプロ」の片仮名文字を上下2段に横書きしてなる商標であり、平成元年2月7日指定商品を旧商品区分第1類「植物育成剤、土じょう改良剤、その他本類に属する商品」として、商標登録出願されたが、指定商品はその後平成3年5月17日付け手続補正書をもって旧商品区分第1類「土壌改良剤及び化学剤」に補正されたこと、引用商標は、「アイプロ」の片仮名文字と「IPRO」の欧文字を上下2段に横書きしてなり、昭和63年2月22日指定商品を旧商品区分第1類「化学品、薬剤、医療補助品」として登録されたものであるが、指定商品中「化学品」についての登録は、平成5年4月15日の審決によって取り消され、同年10月15日審決の確定登録がなされたことは、当事者間に争いがない。

(2)  手続的瑕疵の主張について

<1> 原告が同項<1>で主張する事実は、当事者間に争いがない。

<2> そこで検討するに、審判手続は、請求人が適式な審判請求書を特許庁長官に提出し、請求書が受理された以降開始され(商標法56条1項、特許法131条1項)、特許庁長官は、審判の請求書を受理したときは、これに審判の番号を附し、その番号を当事者に通知しなければならず(商標法施行規則6条1項、特許法施行規則48条1項)、審判長は、当事者が何ら手続をしない場合でも、法定の審理方式に従って審判手続を進行することができる(商標法56条1項、特許法152条)とされており、そうすると、審判の請求は、その請求書が受理された段階で特許庁に係属し、審判番号を表示することにより事件は特定され、以後審判の請求人は、その番号によって必要な主張立証をすることが可能であると認められる。

そして、原告が、平成3年6月14日審判番号の通知を受領したことは、当事者間に争いがない。

原告が主張するように、審判は、3人又は5人の合議体が行う(商標法56条1項、特許法136条1項)、特許庁長官は、各審判事件について合議体を構成すべき審判官を指定しなければならない(商標法56条1項、特許法137条1項)と規定されているけれども、そうであるからといって、審判官の指定がなされなければ、審判手続が開始しないということはできないし、請求人において意見書あるいは補正書の提出ができないというものではない。このことは、手続の補正につき、商標登録出願をした者は、事件が審査、審判又は再審に係属している場合に限り、その補正をすることができる(商標法68条の2)と規定されていて、補正可能な期間について、審判官の指定ないしその通知に関係付けて定められていないことからも、窺えることである。

さらに、審理終結の通知を受領した後であっても、請求人において審理再開の申立てをすることができる(商標法56条1項、特許法156条2項)とされているのであるから、必要と考える当事者は、この申立てをすることも可能である。

これらのことを考えると、前示<1>の事実を考慮しても、本件審決は、原告に対し、意見書ないし補正書の提出をすべき時間的余裕を与えず、審判手続においてその審理を充分に尽くすことなくなされたものであって違法であるとする原告の主張は、採ることができない。

<3> 原告は、平成3年5月17日付け手続補正書において、本願商標の指定商品を「化学剤」と補正すべきであったのを、錯誤により「土壌改良剤及び化学剤」としたのであって、時間的余裕があれば、これを再度補正することにより削除し得たもののように主張するが、前示<2>認定のように、被告の審判手続に格別違法の点は認められないことを考え合わせると、このようなことを被告の責めに帰すことはできない。

さらに、原告は、「土壌改良剤」は、旧商品区分では、第1類の「化学品(他の類に属するものを除く。)、薬剤、医療補助品」の「薬剤」の「三十 農業用または公衆衛生用薬剤」のなかに位置付けられていたが、新商品区分では、第5類の「薬剤」とは分離され、第1類の「工業用、科学用又は農業用の化学品」の「二 植物成長調整剤類」のなかに位置付けられるようになったので、本願商標の指定商品「土壌改良剤」と引用商標の指定商品「薬剤」とは、出所の誤認混同を生ぜしめる蓋然性がないことを、改正商標法は予定している旨主張する。

しかしながら、商標法においては、商品の区分は、商品の類似の範囲を定めるものではない(商標法6条1項)と規定されており、商品の類否の判断は、取引の実情、すなわち、商品の生産部門、販売部門、原材料及び品質、用途、需要者の範囲が一致するかどうか、完成品と部品との関係にあるかどうか等を総合的に考慮して判断をすべきであり、結局、その類否は、2つの商品に同一又は類似の商標が使用された場合、これに接する取引者、需要者が商品の出所につき誤認混同を生ずるおそれがあるかどうかにより判断すべきである。

このような観点からすれば、本願商標の指定商品の「土壌改良剤」と引用商標の指定商品「薬剤」は、新商品区分においては、分類において異なるようになったことは認められるけれども、「土壌改良剤」は、「薬剤」のうちの除草剤、殺菌剤等の商品と、生産者、販売者、原材料、用途、需要者の範囲等において共通する点が多く、これらに同一又は類似の商標が使用された場合には、取引者、需要者において、商品の出所につき誤認混同を生じさせるおそれがあるといわなければならない。

したがって、本願商標の指定商品である「土壌改良剤」と引用商標の指定商品である「薬剤」とは、類似の商品であるといえるし、そのうえ、旧商品区分に基づいて成立した引用商標の商標権の範囲がその後変更されたものではない(新商品区分は、いわゆるニース協定に定める国際分類を採用したものであって、そのことが旧商品区分の解釈に影響を及ぼすものではない。)から、両商標の指定商品が類似しないことを前提として、拒絶理由が瑣末にすぎないのに、審決は、審理を充分に尽くさなかったとする原告の主張は、理由がない。

<4> 以上のとおり、審決に、審理手続上の瑕疵があるとの原告の主張は、採用することができない。

(3)  実体的判断の誤りの主張について

<1> 原告が同項<1>、<3>で主張する事実は、当事者間に争いがない。

<2> そこで、称呼の類否について検討するに、本願商標から「ハイプロ」の称呼が生じ、引用商標からは、「アイプロ」の称呼が生ずることは、当事者間に争いがない。

そうすると、両商標は、いずれも4音よりなり、第1音において「ハ」と「ア」の音を異にするのみで、これに続く「イ」「プ」「ロ」の音は共通である。

原告は、両商標の語頭音の「ハ」と「ア」は明確に区別できる旨主張する。

しかしながら、成立に争いのない乙第2号証(「教本国語音声学」大西雅雄著、昭和55年9月25日弘文堂発行)によれば、「ハ」の子音は「咽腔音〔h〕であり」、咽腔音〔h〕は「無声音で、別名気音とも呼ばれ」、「〔ha〕〔he〕〔ho〕は疎慢に発せられると、気音が減じて〔ha〕〔he〕〔ho〕の如くなり、更に進めば単なる母音〔a〕〔e〕〔o〕になってしまう傾向がある。」(70頁)とされていることが認められ、さらに、母音「アイウ」は、「母音の調音上、最も特色ある代表的の三音である。聴えの上からも、最も明瞭に隔たる音色を備えたものである。」(37頁)とされていることが認められる。

このことからしても、子音「h」は、呼気とともに発せられる力の入りにくい、弱い音であるところ、これに帯同する母音「a」は、明瞭で強く響く音であり、子音「h」は母音「a」にあたかも吸収されて、「ハ」の音は「ア」に近似した音として聴取されるというべきである。

しかも、後半部分の共通音である「プ」「ロ」の音は、強く響いて、かつリズミカルな印象を与える音であるということができる。

そうすると、両商標の全体を一連に称呼する場合には、「ハ」と「ア」の音の印象としての差異が比較的小さいうえに、後半部分の「プロ」の音が比較的強い印象を与えることと相まって、これを聴取した取引者、需要者に与える印象は極めて近似し、取引者、需要者においては、互いに聞き誤るおそれがあるというべきである。

原告は、少数の音から構成されている語の第1音の発声は聴者に強い印象を与える旨主張するけれども、両商標は、4音からなるもので、必ずしも少数の音から構成されているということはできないうえ、上記したような音の構成からして、この見解を採ることはできない。

また、原告は、本願商標は、「ワイプロ」と称呼されることはあっても、「アイプロ」と称呼されることはない旨主張する。本願商標が、原告主張のように「ワイプロ」と称呼されることも認めるに至らないが、問題は、本願商標によって生ずる「ハイプロ」という称呼と引用商標から生ずる「アイプロ」という称呼との類似性であって、本願商標そのものが「アイプロ」と称呼されるかどうかではないから、その主張は採用することができない。

<3> 原告は、「ヘロス」と「エロス」の2商標が非類似とされた審決例をあげ、また、商品区分第1類に関する商標の審決例において、語頭音が相違する場合に非類似と判断されている例が多数存在すると主張するけれども、原告が例示しているものは、「ハ」と「ア」の語頭音における差異があるものではないから、これをもって上記認定を左右し得ない。

<4> 以上のとおり、審決には、実体的判断の誤りがあるとする原告の主張は、採用することができない。

3  したがって、原告主張の取消事由はいずれも理由がなく、審決の認定判断に原告主張の違法はない。

第2  よって、原告の本訴請求は、理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 関野杜滋子 裁判官 持本健司)

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